あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

「ヘビとトカゲと生の反復」喜山荘一(第6回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 野国貝塚の約6000年前の層では石器群が検出されている。グリッドの報告しかないから、グリッド内の位置と方位を想像して配置してみると、ここにヘビが見えてくる。C4の顎下の模様、A7からA8にかけた肛板、尾下板の特徴をみると、これはハブだ。

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 気になるのは、A8の「卵」の置かれ方で、切られた胴部から離れた場所にあるようなのだ。同じ段階の渡嘉敷島の船越原貝塚では、石器の詳細は報告されていないが、石器群の並びは画像で分かる。これも野国貝塚と同じ土器の場だから、並びにヘビを確認すると、ここでも「卵」は中断した胴部から離れた場に置かれているようにみえる。

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 これは、「卵」が身体から産み落とされたものではなく、分離した身体として考えられていることを意味している。貝の詳細が報告されている新城下原第二遺跡Ⅸb層をみても、「卵」貝は独立して扱われておらず、尾下板の化身貝とセットになっている。

 「卵」は分離した身体であり、身体の一部と見なされた。これは「死」を認めないヘビ段階にとって重要だった。卵から変態して出現するヘビは、もともとの身体の一部からなるものとして、脱皮行為のひとつと見なされたのだと思う。

 「卵」が出現するものとして意識されるようになるのは、次のトカゲ段階においてだ。ヘビに脚の生えたトカゲは、動物性の自覚を表している。「吸って(呑んで)吐く」がヘビの思考であったとすれば、「食って出す」のがトカゲの思考だ。ここで、子、糞、卵は等価に見なされる。

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 まずシャコガイが、食らうトカゲの「口」の重要な化身貝になる。屋我地島大堂原貝塚Ⅶ層や波照間島下田原貝塚がこの段階になる。そして、植物や動物から、食から性へ生態を転移させるように、その通りに、生を継ぐことへ関心は移行する。

 ここで、彼らのこころを捉えたのは「卵」だった。トーテムであるオキナワトカゲもキシノウエトカゲも「卵」を見守る。ここに、親トカゲと卵、子トカゲという場面が生まれる。

 トカゲ人たちは、よく捉えてみると、トカゲ人とトカゲ人のあいだに「卵」を持つ。トカゲ人は、卵人になったのち、ふたたびトカゲ人として出現する。それなら、この動かない「卵」人とは何なのか。それは、動かない身体(死)と同じである。卵とは何か。その果てしない自問のなかで、卵から死が立ち上ってくる。この過程は、トカゲの「口」を表す土器をつくるのを止めて、ヤコウガイの蓋で示される「卵」の化身貝を集めるのに執心した与那国島のトゥグル浜遺跡に詳しい。

 こうして「死」が発見された。人には「死」という過程がある。このとき、トカゲの「口」の化身貝だったシャコガイは、開いては閉じて生命の放出と吸収を繰り返す「卵」貝に見えてくる。ここで、トカゲはメタモルフォーゼしてシャコガイとなり、シャコガイが新たなトーテムになる。

 トーテムとメタモルフォーゼの第6回のうち、「卵」についてはこんなことをお話しした。少人数でこじんまりした集まりになったが、和やかに議論を深めていって印象深い夕べになった。ご参加者に感謝。

 

(感想の一部)

とても興味深かったです。脱皮と卵の関係性など、もっとお聞きできればうれしいです。(匿名)

ヘビ→トカゲ→カメに移ってほしかった!
日本の鶴亀だったり、ハワイのホヌだったり、
世界のどこかではカメトーテムもあったのかな。(靴屋

「ヤドカリ人の抵抗とアマミキヨの出現」喜山荘一(第5回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 多良間島にはチャーミングな習俗が残されていて、女性が男性に「ヤシガニを捕って」と頼むのは、「愛の告白」を意味していた。ここには、カニ男性と貝女性の合体が暗示されている。これは、ヤドカリ・トーテム段階の習俗で、トーテムがヤドカリになるというのは、子の出産の仕組みについての認識を受容したということだった。

 瀬底島の「アンチの上貝塚」は、初期のヤドカリ・トーテム段階を記す。それだけではなく、あの具志川島の岩立遺跡と並んで、四つの場が認識された上で、貝のデータが詳細にある、琉球弧でたった二つのうちのひとつだから、とても重要だった。

 ここで驚かされるのは、「境界のトライアングル」が二重化されていることだ。

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 カニ段階で生まれた姉妹と兄弟の距離は、ここで貝塚にも構造化される。この距離は、「兄妹始祖神話」で言うところの、「風上の男の息が、風下の女の息にかかって、子が出来るようになった(沖永良部島)」や「この兄(弟)と妹(姉)神は性的な結合はしなかったが、住み家がならんでいたので、ゆききして吹く風をなかだちにして、女の神は受胎した(中山世鑑)」の文言ともよく響きあっている。

 
 それなら、トーテム段階を終わらせかねないヤドカリを島人はどう乗り越えたのか。
 貝をみると、驚くのはここにカニがいることだ。貝の構成はトーテムを指示する。そのはずなのにカニもいる。詳細にみると、カニは子を、ヤドカリは大人を示している。つまり、トーテム人はカニ人として「この世」に現れ、成人化するときに、ヤドカリ人になる、ということだ。生誕祝いの際にカニ儀礼が残されてきたのは不思議だったかが、こういうことだったのだ。

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 膨大な数の貝を四つの場に則してみると、オウギガニ段階以降に顕著になった男性数の不足は解消されていない。ことによれば三年おきほどに、貝塚の場は改められ、そのたびに男性の出現を願うイモガイが置かれていく。その結果が、イモガイ集積となって残された。カニの終わりから続く男性の不足。沖縄島周辺に限っていえば、この男性数の不足がヤドカリを受容する背景にあったものかもしれない。子の生誕に男性は関わらないというのが、トーテム人の認識だ。しかし、男性が少なければ生命の訪れも少なくなる。それが、子の出産の仕組みを認識として受容する背景にあったのかもしれなかった。

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 ここから舞台は奄美に移る。これも驚くことに、現在分かっている年代測定を元にすると、奄美は沖縄島周辺よりも千年もはやくヤドカリ段階に入っている。ここでは、沖縄島周辺とはまた異なる困難があったはずだが、その読解に迫れる考古学資料は残念ながら不足している。
 
 奄美では、コモン・ヤドカリのあとにベニワモン・ヤドカリがトーテムになる。サンゴ礁のヤドカリだ。奄美では、ここで「胞衣」が思考されている。そしてそのとき沖縄では、オウギガニ段階で、オウギガニを通じて「胞衣」は思考された。両者はトーテムの歩みに位相差を持ったが、違う生き物から同じころに、「胞衣」を考えたのだ。
 
 そしてナキオカヤドカリという陸のヤドカリがトーテムになる。このころ、沖縄でもヤドカリ段階に入る。
 
 ナキオカヤドカリという陸のヤドカリになる意味がずっと分からなかったが、これは栽培を意味していた。といっても穀類農耕ではなく、トウグリ(ゴーヤ)とトウガン(シブリ)である。畑の農耕は、トーテム段階に始まっていたのだ。
 
 こんかいは、出身の方が参加していたので、ここから「小湊フワガネク遺跡」に接近した。よく知られているヤコウガイ製の貝匙が、ヤドカリ女性の腹部を示すこと、それは同時に「胞衣」であり、冬瓜も思考されていることをお伝えした。小湊は、ヤドカリ遺跡なのだ。

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 この辺りから歴史上の記述に重なってくる。トーテム編年からいえば、「日本書紀」に記された「海見」とは、ヤドカリ(アマム)のことであり、アマミキヨは、「アマムの子」としての位相を持つ神である。で、これが締めくくりのお話し。
 
 ひとつのトーテムといっても長い旅路を持つのだから、それを数時間で話すのはヘビーだが、参加者はもっと大変だろう。今回も参加し
てくださったみなさんに感謝です。
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(ご感想)
トーテムの時代が終わってしまった!
なんだか切りはなされてしまった不安感をおぼえました。
かえりたい(靴屋)。
 
いつもは18時のシンデレラでしたが、今日は18時を超えていられるとはりきってきたのですが、18:30で終わってしまいましたね。
断片的ではありますが、喜山世界が少しずつ分かりかけてきました。面白いです。
次回はまたシンデレラ状態に戻りますが、楽しみにしております(宗統一郎)。
 
貝塚の形状にヤドカリを見るのが個人的には難しいようです。
また、,microのものをmacroに見る際に、必ずしも近似しているとは思われない、或いは相当な程度に「何にでも似ている」とも取れるような形状に、「何々に見ている」という説明を与えられると、どうも果たしてそうだろうか?と多少とも懐疑的にならざるを得ません。「神は細部に宿る」と言うが、一度細かい処が気になり出すと、全体の話を訝しむのが人の性のようです。まあ次回まで考えをまとめておきましょう(青年)。
 
・父の生まれた奄美の人々が持つ歴史があるのを知りました。しかし、父にとっては知り得なかった歴史だと思います。果たして伝承すらあったのかもわかりません。
 ・今回のお話しは、海岸線の人々の歴史でしたが、それは私も聞きかじった奄美の文化や生活に「山」がないのと通じるものがありました。また、「海」もないのは、海を渡って来ただろう人々にとって「海」とは何なのだろうかというナゾになりました。
・全く知らない話でおどろきましたが、理解はむつかしかったです(古木健)。
 
島々に伝わるいくつもの神話、たくさんの“隣りのおばあさん”から聞き取ったような、口誦伝承、島人として育った経験や感覚。現在も行われつづけている祭祀や歌・・・。そこに大量の考古学調査報告書から得たデータ分析を加え、立ち上げられた壮大な仮説。人間が貝や植物など身近な自然物から出現、湧出してきたという”こころ”は貝塚の遺物や遺構から読み解くことができる。
その夢のごとく幸福な一連の“こころ”の物語がついに今回、人間の歴史(有史)と連続することになりました。
一本の野太い物語のベクトル、血脈を感じられて感動的です。聞く側は一つ一つの精細さに立ち止まってしまうことなく、この強いベクトルを感覚してゆくことが大事なのではないでしょうか(谷川ゆに)。
 

「カニの切断と浜降りの発生」喜山荘一(第4回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 前回の三時間を踏まえて、ぐっと絞ったつもりだったが、蓋を開けてみれば同じく三時間を要してしまった。いやはや。

 カニ・トーテムの意味は、姉妹兄弟婚の破綻にある。それがなぜ起こったのか。データは粗密があるので、繊細に読み取れないが、ひとつの推定として、外から来た少数の集団を受け容れることからそれは始まったということをお伝えした。なぜ、人は、姉妹兄弟(少なくともいとこを含む範囲)という濃密で一体感に溢れる関係を脱するという、よく考えてみると、いやいやの起きる事態にどうして進んだのかという人類的な問いに対する解答が、貝塚には眠っている。少なくともそう訴えたかったわけだ。

 浜降りが生れ、輪踊りが生まれる。人はカニから教わったことが多い。踊りの所作ひとつにもそれは宿っている。そうして、オウギガニの段階まで来て、「サンゴ礁・トーテム」から、無から有を産み出す不思議な空間である「胞衣」という概念が析出される。地母神や産土と呼ばれる大地の女神の誕生だ。

 また、「貝交易」と呼ばれるものが、「交易」ではなく「贈与」ということも示したかった。単純なことで、「交換」の概念を持たないのだから、「交易」にはなりようがない。そして、「貝交易」のストック品として片付けられているゴホウラやイモガイの集積も、スデル場(メタモルフォーゼの場)に置かれたトーテム人出現の予祝を意味している。あれは人なのだ。「貝交易」が琉球弧の社会がもたらしたのは、交易品の享受ということではまったくなく、ゴホウラの採取であの世に還ってしまったために陥った慢性的な男性の不足ではないか、というのもお伝えしたい大きなことだった。カニ・トーテムの貝塚を読み解いていくと、「真剣なお人よし」という言葉が何度もやってくる。

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 今回も、タフな時間を共有してくださったみなさんに感謝したい。次回のヤドカリでは、さらに切ない局面をお披露目することになる。それは、今に続く切なさと言ってもいい。 

 

(いただいた感想)

外部から新たな人々が入り込んでくると、やはり大きな変化を余儀なくされるのですね。“稀人”というのは色々考えてみなければならんでしょう。((小林智靖(青年)))

 

死生観を感じる回でした。
心のモヤモヤしたところを言語化するのは自分でも難しいなと思いました。マングローブ・砂など、位相が興味深かったです。(宮国優子)

 

母としてのサンゴ礁を祖とみたてた時、未分化なりに内外の概念、自分とはちがうトーテムの存在が認識されたのだろうか、というのが今回の自分の理解です。(細田正実)

 

考古学知見の再解釈が聞けて面白かった(知的刺激を受けた)。
近代的思考を相対化する内容で良かったが、もう一方で、古代人の「思考」をやはり、今の人間の「合理性」で推測していないかどか、内省しながら聞いた。
・ショッチョガマの話
・貝の交易、参加者との議論は聞いていて面白かった。(高江洲昌哉)

 

最後に取り上げられた内海とサモト遺跡。
内海は住用の中でもカニの多い所です。今は縁石がめぐらされてしまったために産卵に下りられず数が減ってしまったようですが、この場とカニのトーテムはとてもしっくり来ると思いました。
また、奄美にはいないとされるジュゴン(ザン)ですが、シマ唄には、昔、内海の中にザンが入ってきて、捕まえて食べたという伝承が残っています。
今回は知っている場所が多くあって、ものすごく身近に感じながら、聞かせていただきました。次回も楽しみにしています。(靴屋

つながるゼミナール②谷川ゆに『古層から読む幻想小説』第三回

今回も、二十代の若者三人と、四、五十代の大人三人。計六人での読書会(8月4日)。
これがまた、楽しいんだなあ。

アニミズム、神とは何か・・・かしこきもの・・山の神、海の神、異類婚姻譚・・。

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文学の話に及びながら、テキスト谷川健一民俗学の愉楽』を読みました。

私(谷川ゆに)はもともと江戸の文学や思想史が専門だったので、おのずと自分の中にある参照先が、平田篤胤はもちろん、江戸の奇談や、戯作、そして大好きな鏡花などの近代文学になるのですが、霊的なものを語る際に、いわゆる道徳性を排しているという意味では、案外、江戸の文学や奇談よりも、むしろ泉鏡花の方が、欲求としては古層的なのだとしみじみ感じさせられます。

ちなみに健一伯父さんは、テキストの中で「カミ」とは何かについて、本居宣長の「かしこきものはすべてカミである」といった、万物に霊が宿るアニミズム的なとらえ方を評価したうえで、こんなことを言っていました。

外国から入ってきた仏、菩薩、聖人などの観念をあてはめたり、中国流の「鬼神」あるいは「精神」といった神の考え方をとることも否定した。結果的に、宣長は宗教と道徳を混同するという誤りから逃れられたのである。

宗教に道徳性を求めるのが「誤り」と言い切っているのが、もう、ほんとうに伯父さんらしくて笑ってしまいます。よほど「道徳」が、嫌なんですねえ。でもそういいつつ、私もまったくそちら側です。人間の決めたルールと霊的なものは、関係づけない方が、がぜん古層的。

そしてその言葉から、鏡花作品の中にみられる、近代・道徳 VS 前近代・古層・カミ(非道徳性)の話をしました。

これは「恋とは何か」という問題にもかかわってきて、私の中では一大ブームとなっているテーマであります。単なる作品の評論を超えて、私自身のリアルな感覚にも、強く響いてくる話なのです。その発見がいま嬉しくてたまらない。いつか、どこかに、ちゃんと書こうと思います。

さてさて、参加者たちの感想をば。

「カミ」という言葉を論じるのに、こんなにも多角的な視点で意見が出るというのが、面白かったです。(宮古島のトーテムの話、文学の話、あの世の話、など)

神・前近代・古層 VS 道徳・義理・近代 という構図は、明治大正期の文学によくみられるが、現代はどうなのか気になった。(野々村純音さん)

カミと怖いと思うか、という質問があり、畏怖という言葉が出ました。その後、蛇についての話になったときに、その意味が分かったような気がしました。悪意なく生殺与奪を握られる感というか・・(やっぱよくわかってないかも)。恋は偲ぶものなのかなって思いました。(匿名さん)

神 VS 近代 の対立という話が非常に興味深いですね。ここに農耕なり貯蓄なりということを更に深く関連付けて考えてみると、より面白いようです。いやしかし、何につけても、‘近代’が問題になりますなあ。(小林青年)

幻想小説」とジャンル化される泉鏡花の作品世界には、ふんだんに古層が盛り込まれている事が面白く思いました。古層は近代にとっては苦手ジャンルになったのですね。(喜山荘一さん)

・・・・豊かな議論が繰り広げられたこと、なんとなく伝わりますでしょうか。

「苧麻・琉球芭蕉・アダンからサンゴ礁へ」喜山荘一(第3回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 分かってきたことを次々に詰め込んだ資料は、半日はかかる内容になってしまった。で、霊魂「蝶」の認識の進展という本道だけ通って抜けるつもりが、それでも大量なことに変わりなく、畳みかけるようにおしゃべりを続けて、気づいてみれば三時間。二倍の時間を費やすありさま。
 
 参加してくださったみなさんには申し訳なかった、と同時に、よく長時間、場を共有してくださったと、頭のさがる思いです。
 

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 最大のプレゼントは、琉球弧で「霊魂」の化身とみなされた14の蝶のお披露目でした。そしてそこに、ただ、植物を通じて霊魂の化身を「蝶」に見ていたというだけではなく、最初は、死者の霊魂が「蝶」になるという認識から、生者について「植物―幼虫」人という認識が生まれ、久高島のイザイホーやその他の神女たちの祭儀がそうであるように、ある年齢に達した女性たちが、生者として「蝶」になるという認識にいたる。そして、生者のなかに「蝶」が宿るところにまで認識がいたったとき、サンゴ礁トーテムへとメタモルフォーゼするという流れだった。
 
 お伝えできなかったことでいえば、こういう問題意識があった。民族誌のなかに見える霊魂は、「影」や「映像」という視覚的な知覚から、概念が掴まれているけれど、琉球弧の場合、「影」に「霊魂」を見るという視線もありながら、トーテムの方から発生が考えられている。それは琉球弧の特徴ではないかということだ。
 
 そしてその経緯をしゃべってみて感じるのは、「影」を通じて「人間のなかの人間」として「霊魂」概念は生まれたが、それをトーテムの側から捉え返しているのが、この「蝶」の内在化の過程なのかもしれないということだった。

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 もうひとつ、推定すると徳之島の島人だと思える、古我地原貝塚人が、なぜ、わざわざ沖縄島に貝塚を建てたのか、ということ。これは、次のカニ・トーテムへの移行の謎ともかかわるので次回、触れたいと思う。
 
 聞き手も大変だったろうなあという三時間、感想をくださったみなさん、どうもありがとうございます。
 

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 宮古島サンゴ礁の美しさは、全体を飛行機から見ると、神とみまごうばかりです。心が弾む、心がゆるむ、その心の弾力を、私の身体が感じた数時間でいた(宮国優子)。

 1か月間、楽しみにしていました。
神高い人がこういう風にしなさい・・・と決めて、その方が亡くなられた時に貝塚を閉じたりするのかなあとか、想像しました。
 どんな気持ちでこれを作っていたのだろう? 今よりも誕生も死も身近にある中で、どんな願いをこめただろう? 来月が待ち遠しいです(靴屋)。

 不勉強なものでよく準備もしないで突然おじゃましました。よくわからないながら、大変興味深いお話しだと思いました。「トーテムとメタモルフォーゼ仮説」を初めて知り、こういう見方もあるのかと、おどろいています。現代に生きる我々には計り知れない直感力や集中力が古代の人々にはあったのだろうと想像するとワクワクします。

 「トーテムで年代(期)を測る」ということがとても新鮮でした。感動的でした。動物と植物がトーテムとぴったり重なり、この世からあの世、そして誕生とメタモルフォーゼしていく様が非常に具体的かつていねいに描かれていた。どうもありがとうございます(mina)。

 個別の情報より思考そのものにおいつけるように情報整理をしている状況です(細田正実)。

 私には感じられないものが、喜山さんには「見える」ことが不思議でしかたありません(片岡慎泰(独文学研究者))。

 身体的、感覚的のものへ理知的解釈を与えると、どうも怪しい響きが加わっていけませんね。古層の理解を深めんとすれば、やはりもっと肉体による感覚というものを信頼せねばならぬのかもしれませんが、これは我々現代人には少し難しい要求でもあるようです。はてさて・・・どうしたものか(小林智靖(青年))

プチ山伏体験ツアー 感想  「いつだって生きなおせる」  アサイマイ

 話はプチ山伏体験ツアーを知る20年以上昔に遡ります。

 子どもの頃、家族旅行で月山を一家で訪れたことがあります。月山山頂付近で山伏を見て以来その姿が脳裏に焼き付いて、ずっと気になっていました。それから山伏になった方の本を読み、ますます興味がわいたのですが、なかなか自分が体験するまでには至らず。参加できない理由の一つとして日程が合わないという、もっともらしいことを並べていましたが、本音の部分では山伏の修行を体験することで、さも分かったような顔をしてその体験を得意げに話している自分を想像し、一歩踏み出せませんでした。

 でも今回は「野生会議」の山伏体験ツアー。しかも頭に「プチ」がついている。これなら権威主義っぽくないし、楽しそうだし、日ごろ運動不足の自分でもなんとかなりそうだと参加を決めました。

  当日は緊張しながら武蔵五日市の駅で待っていると、渡部八太夫んが迎えに来てくれ、車内では檜原に伝わる庚申講のことなどを教わり、上からではなく、人々の生活の中に息づいた信仰に思いを馳せました。

 そして八太夫さんおすすめの木をふんだんに使った公衆トイレ(木の香りに包まれ、さわやかな気分で用が足せます((笑))に寄って、いよいよ登山口へ!
頭に白い布を教えてもらい巻きます。(「宝冠」と呼ぶそうです)。用意してくださった法螺貝を持てば一気に山伏になった気分に!

  山に入ると「法螺貝を吹いてみましょう」と吹き方のコツを教わるも、全然音が出ません。出るのは空気の抜ける「スー!スー!」という音や逆に強く音を出そうとして「ブーッ!!」という自分の声だけ。う~ん前途多難な気がしてきた、と思いつつ体験ツアーが始まりました。

 今回は八太夫さんから「気に入った石を一つ見つけて持って帰ってください。」と提案されたので、慣れない山道を歩きつつ石ころを探します。当初、丸くて白い石がほしいと思い、そのような石がないか探していました。

 しばらく歩いていると、なぜか子どものころに初めて「億光年」という言葉を知った時の驚きをふと思い出しました。今見えている星の光が実はとてつもないほど遠くにあって気が遠くなる時間をかけて届いたということを知った驚き。…そうなるまでどれほどの時がかかるのか。果てが見えない遠い時間のことを思うと、ふいに輪廻転生のイメージと重って、石や砂が誰かの生まれ変わりのような気がしてきたのです。人が亡くなって生まれ変わって岩となり石となって、そこを歩いている私…。思わずなにか唱えたくなりました。死んでいった命と生きている命とこれから生まれる命に対して、なにかを伝えたくなったのです。

 億光年と同様、果てしない時間を経て目の前にある石ころと比べると、本当に人の命は刹那に過ぎない。全く異なる時間を経てきた石と人。そうすると自分が石を手にすることが特別なことのように感じられました。そして丸くて白い石を手に入れたいという思いはいつの間にか消えていて、私が手にした石は黒く尖っていました。そのいびつな形に、自分自身の不器用をはじめ欠点を感じたのかもしれません。普段ならば「嫌でたまらないから見たくない」と思っていましたが、なぜだか「あんたも(石)も私と同じで丸くなれないんだね。しょうがないね。それでもいいや。」と心のなかで呟きました。

 綾滝不動尊に着きお参り。ここで一つ困ったことに滝から水をとるために近づくと靴が中までびっしょりになってしまいます。一瞬躊躇したものの「ええい!いいや!!」とジャブジャブと水の中に入り滝に水筒を近づけました。靴はもちろんなぜか上着も濡れましたが、そんなことはどうでもよく、却って清々しささえ感じます。頂いた水は甘くまろやかで、ここまで登ってきた疲れが癒されました。少しの休憩ののち出発。

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綾滝の手前の、天狗滝にて。

 再び山道を登って、山頂までのわずかのところまで来た所にそびえる木の神様に挨拶をしてから、二本の木にそっと触れてみます。すると応えてくれるように風が吹き抜けていきます。「ああ
大丈夫なんだ。」一体何が「大丈夫」なのか説明できないけど、とにかくそう感じました。

 そして大きな岩やのつづら岩大権現にお参りし、いよいよ最大の難所を登って山頂へ!

 つづら岩の頂きで見た景色は圧巻でした。崖に胸のあたりまでつけて身を乗り出し、下を見ます。落ちたら確実に死ぬはずだけど、怖さよりも、ここまで生きてこられたことがありがたく思え、感極まってしまいました。

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つづら岩にて


 昼食の後は下山。日頃運動不足がたたって太ももがすでに痛く、足はがくがく。まるで生まれたての子牛のようです(笑)。ヨロヨロしながらも山道を下り、登山口に近づくにつれて体験ツアーが終えることの達成感、結局何度吹やっても法螺貝を吹くことができなかった悔しさ、そしてまた「日常」に戻ってしまうことの寂しさを感じました。

 下山して家路につき、しばらくボーっとしていました。今日の出来事なのになぜか夢を見ていたような感覚、自分がいる散らかった部屋と山の中のできごとがあまりにかけ離れているからでしょうか。お風呂に入り、早々に寝ようと布団にもぐり、うとうとしていると、木の神様に触れた時の「大丈夫」を再び思い出しました。そしてその時、同時にこんな言葉も湧いてきました。

『断絶させようとする力に抗う。それは「いつだって生き直せる」と信じること。生きている限り生き直せる。それが人生なんだ。己の生をたやすく渡してはならないんだ。』

  山伏は胎内に見立てた山に入ることで一度死んで再び生まれ変わるそうです。

「プチ」とはいえ、今回は胎内くぐりをし、生まれ変わる経験をさせてもらいました。そして山を下りた後に出てきた言葉は自分でも思いがけないほど前向きで、「生きたい」ということでした。

 誰がなんと言おうと生きたいんだということ。たった一瞬に過ぎないけど、自分が生きて存在しているということに今更ながら実感が湧きました。

 実は、自分が山伏となって生まれ変わることで何か「特別」な自分になりたいと思っていたことが、同時にわかりました。「特別」というのは他者からみて「優れている」ということ。でも、それは本当はどうでもよくて、存在している事だけで充分ではないかという思いに包まれました。

 

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つながるゼミナール  山伏目線で読む宮沢賢治 @ 西荻窪・忘日舎 第2回

賢治が友・保阪嘉内に宛てた幾通もの手紙から抜粋構成された「修羅成仏経」!

賢治の「春」と「修羅」。

どちらもあまりに過剰に溢れ出る賢治という現象。

さて、修羅は成仏できるのか……

 

 語り手は、崎村遊八(語り物八太夫会)。

初舞台です。(昔、アングラ劇団の女優でした) 

 

 

 

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