あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

「蝶になる時とイザイホーの原像」喜山荘一(第2回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 このシリーズで最大のギフトになると思い、相当に意気込んで準備したが、当日(6月22日)のお披露目も力んだ。 時間は足らず、これで二回分でもいいくらいだった。

 今回は、具志川島の岩立遺跡西区にフォーカスした。植物トーテムにとどまらず、全トーテム段階を通じても、これほど貝塚の詳細が記された報告書は少ないから、限度いっぱいの読解をしておきたかったのだ。

f:id:yasei99:20190629111608p:plain

5B層

 その読解(貝読)の核のひとつは、貝塚を築いた集団の人数だ。5層は人骨が出土しており、そのため考古学調査で人体数も報告されている。「トーテム-メタモルフォーゼ仮説」では、考古学の遺物は「人」を表す。琉球弧の場合、なかでも貝はその主役だから、貝によって人数を割り出すことができるが、それが調査による人体数とぴったり一致することをまず示した。

 f:id:yasei99:20190629110340p:plain

 貝から人数に接近できるというだけではない。貝の置かれ方は人を示すと同時に、トーテムを示す。5B層のトーテムは、ノカラムシであり、それが「この世にいる場」では苧麻の葉で表されている。

f:id:yasei99:20190629104957p:plain

 こうやって紐解いてゆけば、貝を通じてトーテム人が見ていた、貝身体としての「ノカラムシ人」像を復元することも可能だ。

 そしてさらに、5B層では、「あの世に還る場」で、蝶への化身が思考されていることを示した。それはひとめで分かるほどにはっきりしている。蝶が死者や霊魂の化身であるという言い伝えには由来がある。それは「霊魂」が発生したときに、同時に生まれた考えだった。そのうえそこには、ハジチ(Japonesian Ryukyu Tribal Tattoo)の発生を物語るイモガイ(貝製品)も置かれている。

 こうした手がかりをもとに、発表は久高島の名高い祭儀イザイーと国頭安田のシヌグの原像に移っていった。トーテムの眼でみれば、これらの祭儀の発生も見えてくる。蝶人としてのカミになり、「あの世」とのつながりを生き生きとさせたのだ。

 

 いくつか、感想も寄せていただいた。

 「貝塚がごみ捨て場ではない、という所から全て感動でしたが、遺跡の配置、さなぎの形、これから喜山さんの視点で考古学の資料が見てみたくなりました。続きが聞きたい!「野生会議」のコンセプトもものすごく興味があります」(靴屋さん)

 「これまで人類の起源等について、正直興味を持った事もありませんでした。本日初めて参加させて頂き、貝のお話はよく解りませんでした。蝶の話では「なるほど」と思う事があり、祭りの意味や何を表しているのか興味深かったです」(裁原広幸さん)

貝塚を考古学ではなくトーテムという切り口から考えることが新鮮でした」(素隠居さん)

「人間の古き時代の姿を今に伝えるような、面白いものとして貝塚を見始めました。正しく“古層”ですね。」(小林智靖(青年)さん)

「サナギ、メタモルフォーゼ、チョウ、♡」(片岡慎泰(独文学研究者)さん)

 

 「植物トーテム―蝶」の対は、まだまだあり、次回に向けて貝塚が教える限り、そのペアを拾い上げたいと思っている。そして、島人気質にもっとも影響を与えた「サンゴ礁トーテム」に入っていくことになる。

 もちろん、貝塚漁りが趣味なのではない。それを通じて神話や伝承、祭儀、無意識にしている心の動かし方の機微をよく知ることで、人類のこころの母型を掴みたいのだ。

 

 

peksu.yaseikaigi99.com

野生会議99 つながるゼミナール② 谷川ゆに・読書会「古層から読む幻想小説」 第2回

2019年6月2日

 

今日は、前回に引き続き、谷川健一民俗学の愉楽』(現代書館)を、わたくし谷川ゆにがレポートしながら、みんなから自由にコメントをもらうという形で進めました。

参加者は、20代の若者三人と、私、宮国優子、喜山荘一、という野生古老メンバー。

毎度のことながら、いや、盛り上がりましたよ!

若者は、非常に感性が鋭く、また頭の良い子たちばかり。分析的な冷静さを持ちつつ、いい意味での主観もきちんとある。

 

f:id:yasei99:20190603224300p:plain

 

「あの世」と「この世」の境界にある「なぎさ」。

そこに古来、「産屋」を建ててそこで出産する習俗があったこと。産屋は、人間が死から生へ移行してくるとき、生まれ変わってこの世に出現するときの「繭」のような存在であること。

また、「うぶすなの神」は、「産屋」に敷く「砂」が神格化されたものであること。

・・・つまり、産屋は繭であると同時に、女性の胎内のような存在なのだ。渚という境界がつくりだす時空を超えた空間性にしみじみ。

 

f:id:yasei99:20190603224444p:plain

熊本県葦北郡、田ノ浦の渚。

 

うぶすなの神を共有するということは、同じ産屋から生まれた者をいう。この場合、血縁の者であるとは限らない。また血を分けた子どもであっても、生まれた場所が違えば、うぶすなの神を共有することにはならない。(テキストp80)

 

母親の身体だけでなく、もう一つの「胎内」としての「産屋」を共にする者同士は、血がつながっていなくとも、いわば家族みたいなものである。

ああ、人間だけの世界で構築された、血縁や血族、家族、ひいては国家などとは全然違う、「うぶや」の「砂」の「かみさま」を共有する繋がり。

 

わたしは、そういう「この世ならぬ」ものが含み込まれた関係性、共同性の中にこそ、私自身が、伸び伸びと呼吸ができる場所を得られるような気がする。

 

渚や砂、木々や動物たちの側に主体をたて、そのことを中心にわたしたちがある、という古代人的感性。この本のあとに読もうとしている泉鏡花などの幻想小説には、そういう流れあう生命の表出に溢れているのだ。

 

毎回、私たちの話題はいつもそこに流れて行く。

野生メンバーは、水をえた魚みたいに活き活きする。

 

近代を経た私たちが、いかに人間同士、あるいは人間以外のものとのあいだに、豊かな関係性を再構築することができるのか。

大きな、大きな問い。しかし重苦しさがあるだけでなく、その扉の向こうは実に広々としている。もちろん、簡単には答えがでない。しかし、明るくていとおしい何かが、そこにはあるような感じがする。そんな議論を仲間たちとできるのは、この上なく楽しい。

 

今回は、参加者それぞれに短い感想を書いてもらった。以下、掲載。

 

「理性一辺倒の現代を、今一度、省みる必要があると思いますが、その際に、この‘島の魂’のような、何か人の原初に立ち還る先(古巣ですかな?)を探してみるというのも、大いに有益でありましょう」(小林智靖さん)

 

「人間を主体にするか、あちら側(自然・神・あの世etc.)にするかの話が興味深かったです。泉鏡花が動物と一緒になりたい欲を、近代秩序で抑えていたという解釈が好きです。彼の、あの世に魅かれる気持ちはわかります。共同体は、やさしいけれど怖い存在だと感じます。」(野々村純音さん)

 

「人間を主体として自然との相似をみるのか、自然を主体として人間との相似をみるのか、という点を意識したことがなく、目からウロコがおちた様なきもちでした。うぶすなについてのあたりで、何度も共同体という言葉がでましたが、どのような共同体としてどういう風に存在していくのかを考えていかないといけない時代なのかな、とちょっと思いました。」(匿名さん)

 

「なぎさは、あの世とこの世の境という話。波打ち際にはずっと座っていたくなる。あの感覚は、その境にいることの安堵感からくるのかもしれない」喜山荘一さん)

 

「神とは、私には、見えないものの総体だなと思いました。身近で形でないもの。そういうものなんだろうな、と思う。わたしは宮古島の人だからかもなあ。今日はヒントがいっぱいです。」(宮国優子さん)

 

上から三人までは、二十代の若者たち。

いいこと言うわー。

われわれ、不良の大人たちはとっても嬉しいっす。

 

peksu.yaseikaigi99.com

野生会議99企画「プチ山伏修行体験」の巻  by 渡部八太夫

一応看板だけ出しておけば、野生会議の格好がつく。どうせ、誰も応募はしないと決め込んでいたのに、申し込んできた物好きが2名いる。困ったものだが、関東に大雨が吹き荒れた二日後のお山は爽やかな山伏日和で、プチとはいえ、ちゃんと胎内をくぐり、あの世へと旅立ち、新しい生を受けて転生するという行をまじめに行う一行なのであった。

 

天狗滝にて

f:id:yasei99:20190523205214p:plain

 

胎内くぐり 

f:id:yasei99:20190523205154p:plain

 

難関の岩場

 f:id:yasei99:20190523205030p:plain

 

つづら岩頂上に全員登頂。残念ながら富士浅間大権現を拝むことはできませんでした。

f:id:yasei99:20190523205007p:plain

 

 

cafe99 序章 マイザ/物語を開く声

f:id:yasei99:20190421163216j:plain

 

ふかふかで、綿菓子のように柔らかい黄色いモヘア。わたしが初めて触れた毛糸は、小さな街の手芸屋さんで、祖母と2人で選んだものだった。夏休みの暑い盛りだというのに、なぜモヘアなのかと今更ながら少し妙だなと思うけれど、もしかしたら、冬糸の売れ残りだったのかもしれない。

 

 祖母とわたしは、扇風機の前に陣取って、並んで座った。ふかふかの黄色い毛糸を手にとって、祖母は次々にバービー人形のスカートやベストを編んでくれた。一本の細い細い毛糸が、かぎ針と祖母の手に吸い込まれながら、三つ編み状に編まれ、段が増していくごとにフリルが現れ、やがてスカートになった。わたしは、祖母の手元を食い入るように見つめた。

 

 祖母は、毛糸で犬もつくった。ワイヤーをくねくねと折り曲げて骨組みをつくり、毛糸でポンポンを量産し、それを組みたてると黄色い綿菓子のプードル犬が生まれた。小さな赤いフェルトが舌になり、プラスチックの目玉はきらりと光を放った。糸に命が宿った瞬間。まるで魔法のようだと思った。

 

 糸から、人は様々なものをつくれるんだということを、はっきりと認識したのはそんな8才の夏休みのことだ。当時は、糸と人との間に深い歴史や神話があることを知りもしなかったけれど、祖母から教えてもらったことには、幼いながらも特別な意味があるとわかっていた。なにせ、一本の糸から服や犬が生まれる「創造の瞬間」に立ちあったのだから。その驚きとインパクトは、いまでもわたしの中に深く刻まれている。

 

 糸を紡いで、編んで、織って、縫って。人は、太古から糸で身を守るための衣をつくってきた。忘れがちだけれど、今わたしたちが身につけているものは、元々は別の命だった。コットンならば綿花、ウールであれば羊、シルクであれば蚕、和紙の糸だって、元を辿れば植物の繊維だ。別の命を糸にして、糸からさらに別のなにかにつくりかえる。そういう連続性のある営みは、先人たちがわたしたちに伝えきた、命を守るための技術であり、魔術でもある。

 

 実のところ、当時のわたしたちにとって糸はコミュ二ケーションのきっかけでもあった。8才のわたしはすでにポルトガル語を失っていて、祖母も5年ぶりに会う言葉の通じない孫とのやりとりに戸惑いを覚えていたに違いない。糸をめぐる技術の伝承は、うわべだけの言葉では伝えきれないものをわたしに残していった。編み物からはじまった糸を巡る旅は、今では糸を自分でつむぐところまで遡ってきたけれど、糸との出会いは祖母がわたしに残した大きな遺産であり、言葉が通じなかったわたしたちを縒り合わせるきっかけになったのだった。

 

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

このトミカワマイザさんの「序章」の語りからはじまった、2019年5月5日(日)のcafe99の「糸を紡いで時を織る話」の語り手は、妹尾直子さんと、トミカワマイザさんでした。

 

二人はこんな人です。

[紡ぎ人プロフィール]

妹尾直子

1980年京都生まれ。

芸大在学中より手漉き和紙の世界に魅了され、卒業後、福井県越前和紙で手漉き和紙に従事。

その後、繊維を織り成すことについて深めようと沖縄に移住。染織を学ぶ。

和紙+織物=紙布

紙布という世界があることを知り、目指す師匠のいる茨城県に移住。

現在は紙布を作る日々。

 

★妹尾直子の Facebookはこちらをクリック →   FACEBOOK  

 

f:id:yasei99:20190508141550p:plain

和紙から糸を紡いで創られた 妹尾直子さんの作品

 

 

トミカワ マイザ

1986年ブラジル生まれ、日本育ち。

8歳で祖母から鍵編み、棒編みの基礎を学ぶ。編み物をはじめ、洋裁、刺し子、タティングレース、糸紡ぎなどの糸にまつわるクラフトに幅広く挑戦。下手の横好き。

2017年から中枢性尿崩症、下垂体前葉機能低下症、甲状腺機能低下症を次々に発症し、現在に至る。いかに楽して生きるかを模索中。

Webマガジン『アパートメント』にてエッセイを連載。

Twitter: @m_moos

instagram: @m_moos

 

f:id:yasei99:20190508141622j:plain

糸車をまわすマイザ

 

peksu.yaseikaigi99.com