cafe99 序章 マイザ/物語を開く声
ふかふかで、綿菓子のように柔らかい黄色いモヘア。わたしが初めて触れた毛糸は、小さな街の手芸屋さんで、祖母と2人で選んだものだった。夏休みの暑い盛りだというのに、なぜモヘアなのかと今更ながら少し妙だなと思うけれど、もしかしたら、冬糸の売れ残りだったのかもしれない。
祖母とわたしは、扇風機の前に陣取って、並んで座った。ふかふかの黄色い毛糸を手にとって、祖母は次々にバービー人形のスカートやベストを編んでくれた。一本の細い細い毛糸が、かぎ針と祖母の手に吸い込まれながら、三つ編み状に編まれ、段が増していくごとにフリルが現れ、やがてスカートになった。わたしは、祖母の手元を食い入るように見つめた。
祖母は、毛糸で犬もつくった。ワイヤーをくねくねと折り曲げて骨組みをつくり、毛糸でポンポンを量産し、それを組みたてると黄色い綿菓子のプードル犬が生まれた。小さな赤いフェルトが舌になり、プラスチックの目玉はきらりと光を放った。糸に命が宿った瞬間。まるで魔法のようだと思った。
糸から、人は様々なものをつくれるんだということを、はっきりと認識したのはそんな8才の夏休みのことだ。当時は、糸と人との間に深い歴史や神話があることを知りもしなかったけれど、祖母から教えてもらったことには、幼いながらも特別な意味があるとわかっていた。なにせ、一本の糸から服や犬が生まれる「創造の瞬間」に立ちあったのだから。その驚きとインパクトは、いまでもわたしの中に深く刻まれている。
糸を紡いで、編んで、織って、縫って。人は、太古から糸で身を守るための衣をつくってきた。忘れがちだけれど、今わたしたちが身につけているものは、元々は別の命だった。コットンならば綿花、ウールであれば羊、シルクであれば蚕、和紙の糸だって、元を辿れば植物の繊維だ。別の命を糸にして、糸からさらに別のなにかにつくりかえる。そういう連続性のある営みは、先人たちがわたしたちに伝えきた、命を守るための技術であり、魔術でもある。
実のところ、当時のわたしたちにとって糸はコミュ二ケーションのきっかけでもあった。8才のわたしはすでにポルトガル語を失っていて、祖母も5年ぶりに会う言葉の通じない孫とのやりとりに戸惑いを覚えていたに違いない。糸をめぐる技術の伝承は、うわべだけの言葉では伝えきれないものをわたしに残していった。編み物からはじまった糸を巡る旅は、今では糸を自分でつむぐところまで遡ってきたけれど、糸との出会いは祖母がわたしに残した大きな遺産であり、言葉が通じなかったわたしたちを縒り合わせるきっかけになったのだった。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
このトミカワマイザさんの「序章」の語りからはじまった、2019年5月5日(日)のcafe99の「糸を紡いで時を織る話」の語り手は、妹尾直子さんと、トミカワマイザさんでした。
二人はこんな人です。
[紡ぎ人プロフィール]
妹尾直子
1980年京都生まれ。
芸大在学中より手漉き和紙の世界に魅了され、卒業後、福井県越前和紙で手漉き和紙に従事。
その後、繊維を織り成すことについて深めようと沖縄に移住。染織を学ぶ。
和紙+織物=紙布
紙布という世界があることを知り、目指す師匠のいる茨城県に移住。
現在は紙布を作る日々。
★妹尾直子の Facebookはこちらをクリック → FACEBOOK
トミカワ マイザ
1986年ブラジル生まれ、日本育ち。
8歳で祖母から鍵編み、棒編みの基礎を学ぶ。編み物をはじめ、洋裁、刺し子、タティングレース、糸紡ぎなどの糸にまつわるクラフトに幅広く挑戦。下手の横好き。
2017年から中枢性尿崩症、下垂体前葉機能低下症、甲状腺機能低下症を次々に発症し、現在に至る。いかに楽して生きるかを模索中。
Webマガジン『アパートメント』にてエッセイを連載。
Twitter: @m_moos
instagram: @m_moos