あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

プチ山伏体験ツアー 感想  「いつだって生きなおせる」  アサイマイ

 話はプチ山伏体験ツアーを知る20年以上昔に遡ります。

 子どもの頃、家族旅行で月山を一家で訪れたことがあります。月山山頂付近で山伏を見て以来その姿が脳裏に焼き付いて、ずっと気になっていました。それから山伏になった方の本を読み、ますます興味がわいたのですが、なかなか自分が体験するまでには至らず。参加できない理由の一つとして日程が合わないという、もっともらしいことを並べていましたが、本音の部分では山伏の修行を体験することで、さも分かったような顔をしてその体験を得意げに話している自分を想像し、一歩踏み出せませんでした。

 でも今回は「野生会議」の山伏体験ツアー。しかも頭に「プチ」がついている。これなら権威主義っぽくないし、楽しそうだし、日ごろ運動不足の自分でもなんとかなりそうだと参加を決めました。

  当日は緊張しながら武蔵五日市の駅で待っていると、渡部八太夫んが迎えに来てくれ、車内では檜原に伝わる庚申講のことなどを教わり、上からではなく、人々の生活の中に息づいた信仰に思いを馳せました。

 そして八太夫さんおすすめの木をふんだんに使った公衆トイレ(木の香りに包まれ、さわやかな気分で用が足せます((笑))に寄って、いよいよ登山口へ!
頭に白い布を教えてもらい巻きます。(「宝冠」と呼ぶそうです)。用意してくださった法螺貝を持てば一気に山伏になった気分に!

  山に入ると「法螺貝を吹いてみましょう」と吹き方のコツを教わるも、全然音が出ません。出るのは空気の抜ける「スー!スー!」という音や逆に強く音を出そうとして「ブーッ!!」という自分の声だけ。う~ん前途多難な気がしてきた、と思いつつ体験ツアーが始まりました。

 今回は八太夫さんから「気に入った石を一つ見つけて持って帰ってください。」と提案されたので、慣れない山道を歩きつつ石ころを探します。当初、丸くて白い石がほしいと思い、そのような石がないか探していました。

 しばらく歩いていると、なぜか子どものころに初めて「億光年」という言葉を知った時の驚きをふと思い出しました。今見えている星の光が実はとてつもないほど遠くにあって気が遠くなる時間をかけて届いたということを知った驚き。…そうなるまでどれほどの時がかかるのか。果てが見えない遠い時間のことを思うと、ふいに輪廻転生のイメージと重って、石や砂が誰かの生まれ変わりのような気がしてきたのです。人が亡くなって生まれ変わって岩となり石となって、そこを歩いている私…。思わずなにか唱えたくなりました。死んでいった命と生きている命とこれから生まれる命に対して、なにかを伝えたくなったのです。

 億光年と同様、果てしない時間を経て目の前にある石ころと比べると、本当に人の命は刹那に過ぎない。全く異なる時間を経てきた石と人。そうすると自分が石を手にすることが特別なことのように感じられました。そして丸くて白い石を手に入れたいという思いはいつの間にか消えていて、私が手にした石は黒く尖っていました。そのいびつな形に、自分自身の不器用をはじめ欠点を感じたのかもしれません。普段ならば「嫌でたまらないから見たくない」と思っていましたが、なぜだか「あんたも(石)も私と同じで丸くなれないんだね。しょうがないね。それでもいいや。」と心のなかで呟きました。

 綾滝不動尊に着きお参り。ここで一つ困ったことに滝から水をとるために近づくと靴が中までびっしょりになってしまいます。一瞬躊躇したものの「ええい!いいや!!」とジャブジャブと水の中に入り滝に水筒を近づけました。靴はもちろんなぜか上着も濡れましたが、そんなことはどうでもよく、却って清々しささえ感じます。頂いた水は甘くまろやかで、ここまで登ってきた疲れが癒されました。少しの休憩ののち出発。

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綾滝の手前の、天狗滝にて。

 再び山道を登って、山頂までのわずかのところまで来た所にそびえる木の神様に挨拶をしてから、二本の木にそっと触れてみます。すると応えてくれるように風が吹き抜けていきます。「ああ
大丈夫なんだ。」一体何が「大丈夫」なのか説明できないけど、とにかくそう感じました。

 そして大きな岩やのつづら岩大権現にお参りし、いよいよ最大の難所を登って山頂へ!

 つづら岩の頂きで見た景色は圧巻でした。崖に胸のあたりまでつけて身を乗り出し、下を見ます。落ちたら確実に死ぬはずだけど、怖さよりも、ここまで生きてこられたことがありがたく思え、感極まってしまいました。

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つづら岩にて


 昼食の後は下山。日頃運動不足がたたって太ももがすでに痛く、足はがくがく。まるで生まれたての子牛のようです(笑)。ヨロヨロしながらも山道を下り、登山口に近づくにつれて体験ツアーが終えることの達成感、結局何度吹やっても法螺貝を吹くことができなかった悔しさ、そしてまた「日常」に戻ってしまうことの寂しさを感じました。

 下山して家路につき、しばらくボーっとしていました。今日の出来事なのになぜか夢を見ていたような感覚、自分がいる散らかった部屋と山の中のできごとがあまりにかけ離れているからでしょうか。お風呂に入り、早々に寝ようと布団にもぐり、うとうとしていると、木の神様に触れた時の「大丈夫」を再び思い出しました。そしてその時、同時にこんな言葉も湧いてきました。

『断絶させようとする力に抗う。それは「いつだって生き直せる」と信じること。生きている限り生き直せる。それが人生なんだ。己の生をたやすく渡してはならないんだ。』

  山伏は胎内に見立てた山に入ることで一度死んで再び生まれ変わるそうです。

「プチ」とはいえ、今回は胎内くぐりをし、生まれ変わる経験をさせてもらいました。そして山を下りた後に出てきた言葉は自分でも思いがけないほど前向きで、「生きたい」ということでした。

 誰がなんと言おうと生きたいんだということ。たった一瞬に過ぎないけど、自分が生きて存在しているということに今更ながら実感が湧きました。

 実は、自分が山伏となって生まれ変わることで何か「特別」な自分になりたいと思っていたことが、同時にわかりました。「特別」というのは他者からみて「優れている」ということ。でも、それは本当はどうでもよくて、存在している事だけで充分ではないかという思いに包まれました。

 

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