あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

つながるゼミナール②谷川ゆに『古層から読む幻想小説』第三回

今回も、二十代の若者三人と、四、五十代の大人三人。計六人での読書会(8月4日)。
これがまた、楽しいんだなあ。

アニミズム、神とは何か・・・かしこきもの・・山の神、海の神、異類婚姻譚・・。

f:id:yasei99:20190810060728p:plain

文学の話に及びながら、テキスト谷川健一民俗学の愉楽』を読みました。

私(谷川ゆに)はもともと江戸の文学や思想史が専門だったので、おのずと自分の中にある参照先が、平田篤胤はもちろん、江戸の奇談や、戯作、そして大好きな鏡花などの近代文学になるのですが、霊的なものを語る際に、いわゆる道徳性を排しているという意味では、案外、江戸の文学や奇談よりも、むしろ泉鏡花の方が、欲求としては古層的なのだとしみじみ感じさせられます。

ちなみに健一伯父さんは、テキストの中で「カミ」とは何かについて、本居宣長の「かしこきものはすべてカミである」といった、万物に霊が宿るアニミズム的なとらえ方を評価したうえで、こんなことを言っていました。

外国から入ってきた仏、菩薩、聖人などの観念をあてはめたり、中国流の「鬼神」あるいは「精神」といった神の考え方をとることも否定した。結果的に、宣長は宗教と道徳を混同するという誤りから逃れられたのである。

宗教に道徳性を求めるのが「誤り」と言い切っているのが、もう、ほんとうに伯父さんらしくて笑ってしまいます。よほど「道徳」が、嫌なんですねえ。でもそういいつつ、私もまったくそちら側です。人間の決めたルールと霊的なものは、関係づけない方が、がぜん古層的。

そしてその言葉から、鏡花作品の中にみられる、近代・道徳 VS 前近代・古層・カミ(非道徳性)の話をしました。

これは「恋とは何か」という問題にもかかわってきて、私の中では一大ブームとなっているテーマであります。単なる作品の評論を超えて、私自身のリアルな感覚にも、強く響いてくる話なのです。その発見がいま嬉しくてたまらない。いつか、どこかに、ちゃんと書こうと思います。

さてさて、参加者たちの感想をば。

「カミ」という言葉を論じるのに、こんなにも多角的な視点で意見が出るというのが、面白かったです。(宮古島のトーテムの話、文学の話、あの世の話、など)

神・前近代・古層 VS 道徳・義理・近代 という構図は、明治大正期の文学によくみられるが、現代はどうなのか気になった。(野々村純音さん)

カミと怖いと思うか、という質問があり、畏怖という言葉が出ました。その後、蛇についての話になったときに、その意味が分かったような気がしました。悪意なく生殺与奪を握られる感というか・・(やっぱよくわかってないかも)。恋は偲ぶものなのかなって思いました。(匿名さん)

神 VS 近代 の対立という話が非常に興味深いですね。ここに農耕なり貯蓄なりということを更に深く関連付けて考えてみると、より面白いようです。いやしかし、何につけても、‘近代’が問題になりますなあ。(小林青年)

幻想小説」とジャンル化される泉鏡花の作品世界には、ふんだんに古層が盛り込まれている事が面白く思いました。古層は近代にとっては苦手ジャンルになったのですね。(喜山荘一さん)

・・・・豊かな議論が繰り広げられたこと、なんとなく伝わりますでしょうか。