あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

「カニの切断と浜降りの発生」喜山荘一(第4回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 前回の三時間を踏まえて、ぐっと絞ったつもりだったが、蓋を開けてみれば同じく三時間を要してしまった。いやはや。

 カニ・トーテムの意味は、姉妹兄弟婚の破綻にある。それがなぜ起こったのか。データは粗密があるので、繊細に読み取れないが、ひとつの推定として、外から来た少数の集団を受け容れることからそれは始まったということをお伝えした。なぜ、人は、姉妹兄弟(少なくともいとこを含む範囲)という濃密で一体感に溢れる関係を脱するという、よく考えてみると、いやいやの起きる事態にどうして進んだのかという人類的な問いに対する解答が、貝塚には眠っている。少なくともそう訴えたかったわけだ。

 浜降りが生れ、輪踊りが生まれる。人はカニから教わったことが多い。踊りの所作ひとつにもそれは宿っている。そうして、オウギガニの段階まで来て、「サンゴ礁・トーテム」から、無から有を産み出す不思議な空間である「胞衣」という概念が析出される。地母神や産土と呼ばれる大地の女神の誕生だ。

 また、「貝交易」と呼ばれるものが、「交易」ではなく「贈与」ということも示したかった。単純なことで、「交換」の概念を持たないのだから、「交易」にはなりようがない。そして、「貝交易」のストック品として片付けられているゴホウラやイモガイの集積も、スデル場(メタモルフォーゼの場)に置かれたトーテム人出現の予祝を意味している。あれは人なのだ。「貝交易」が琉球弧の社会がもたらしたのは、交易品の享受ということではまったくなく、ゴホウラの採取であの世に還ってしまったために陥った慢性的な男性の不足ではないか、というのもお伝えしたい大きなことだった。カニ・トーテムの貝塚を読み解いていくと、「真剣なお人よし」という言葉が何度もやってくる。

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 今回も、タフな時間を共有してくださったみなさんに感謝したい。次回のヤドカリでは、さらに切ない局面をお披露目することになる。それは、今に続く切なさと言ってもいい。 

 

(いただいた感想)

外部から新たな人々が入り込んでくると、やはり大きな変化を余儀なくされるのですね。“稀人”というのは色々考えてみなければならんでしょう。((小林智靖(青年)))

 

死生観を感じる回でした。
心のモヤモヤしたところを言語化するのは自分でも難しいなと思いました。マングローブ・砂など、位相が興味深かったです。(宮国優子)

 

母としてのサンゴ礁を祖とみたてた時、未分化なりに内外の概念、自分とはちがうトーテムの存在が認識されたのだろうか、というのが今回の自分の理解です。(細田正実)

 

考古学知見の再解釈が聞けて面白かった(知的刺激を受けた)。
近代的思考を相対化する内容で良かったが、もう一方で、古代人の「思考」をやはり、今の人間の「合理性」で推測していないかどか、内省しながら聞いた。
・ショッチョガマの話
・貝の交易、参加者との議論は聞いていて面白かった。(高江洲昌哉)

 

最後に取り上げられた内海とサモト遺跡。
内海は住用の中でもカニの多い所です。今は縁石がめぐらされてしまったために産卵に下りられず数が減ってしまったようですが、この場とカニのトーテムはとてもしっくり来ると思いました。
また、奄美にはいないとされるジュゴン(ザン)ですが、シマ唄には、昔、内海の中にザンが入ってきて、捕まえて食べたという伝承が残っています。
今回は知っている場所が多くあって、ものすごく身近に感じながら、聞かせていただきました。次回も楽しみにしています。(靴屋