あとのまつり by  野生会議99 

終ってしまったイベント、集まり、企みのご報告ですよー。

「苧麻・琉球芭蕉・アダンからサンゴ礁へ」喜山荘一(第3回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④)

 分かってきたことを次々に詰め込んだ資料は、半日はかかる内容になってしまった。で、霊魂「蝶」の認識の進展という本道だけ通って抜けるつもりが、それでも大量なことに変わりなく、畳みかけるようにおしゃべりを続けて、気づいてみれば三時間。二倍の時間を費やすありさま。
 
 参加してくださったみなさんには申し訳なかった、と同時に、よく長時間、場を共有してくださったと、頭のさがる思いです。
 

f:id:yasei99:20190728150525j:plain

 最大のプレゼントは、琉球弧で「霊魂」の化身とみなされた14の蝶のお披露目でした。そしてそこに、ただ、植物を通じて霊魂の化身を「蝶」に見ていたというだけではなく、最初は、死者の霊魂が「蝶」になるという認識から、生者について「植物―幼虫」人という認識が生まれ、久高島のイザイホーやその他の神女たちの祭儀がそうであるように、ある年齢に達した女性たちが、生者として「蝶」になるという認識にいたる。そして、生者のなかに「蝶」が宿るところにまで認識がいたったとき、サンゴ礁トーテムへとメタモルフォーゼするという流れだった。
 
 お伝えできなかったことでいえば、こういう問題意識があった。民族誌のなかに見える霊魂は、「影」や「映像」という視覚的な知覚から、概念が掴まれているけれど、琉球弧の場合、「影」に「霊魂」を見るという視線もありながら、トーテムの方から発生が考えられている。それは琉球弧の特徴ではないかということだ。
 
 そしてその経緯をしゃべってみて感じるのは、「影」を通じて「人間のなかの人間」として「霊魂」概念は生まれたが、それをトーテムの側から捉え返しているのが、この「蝶」の内在化の過程なのかもしれないということだった。

f:id:yasei99:20190728150739j:plain

 もうひとつ、推定すると徳之島の島人だと思える、古我地原貝塚人が、なぜ、わざわざ沖縄島に貝塚を建てたのか、ということ。これは、次のカニ・トーテムへの移行の謎ともかかわるので次回、触れたいと思う。
 
 聞き手も大変だったろうなあという三時間、感想をくださったみなさん、どうもありがとうございます。
 

f:id:yasei99:20190728150728j:plain

 宮古島サンゴ礁の美しさは、全体を飛行機から見ると、神とみまごうばかりです。心が弾む、心がゆるむ、その心の弾力を、私の身体が感じた数時間でいた(宮国優子)。

 1か月間、楽しみにしていました。
神高い人がこういう風にしなさい・・・と決めて、その方が亡くなられた時に貝塚を閉じたりするのかなあとか、想像しました。
 どんな気持ちでこれを作っていたのだろう? 今よりも誕生も死も身近にある中で、どんな願いをこめただろう? 来月が待ち遠しいです(靴屋)。

 不勉強なものでよく準備もしないで突然おじゃましました。よくわからないながら、大変興味深いお話しだと思いました。「トーテムとメタモルフォーゼ仮説」を初めて知り、こういう見方もあるのかと、おどろいています。現代に生きる我々には計り知れない直感力や集中力が古代の人々にはあったのだろうと想像するとワクワクします。

 「トーテムで年代(期)を測る」ということがとても新鮮でした。感動的でした。動物と植物がトーテムとぴったり重なり、この世からあの世、そして誕生とメタモルフォーゼしていく様が非常に具体的かつていねいに描かれていた。どうもありがとうございます(mina)。

 個別の情報より思考そのものにおいつけるように情報整理をしている状況です(細田正実)。

 私には感じられないものが、喜山さんには「見える」ことが不思議でしかたありません(片岡慎泰(独文学研究者))。

 身体的、感覚的のものへ理知的解釈を与えると、どうも怪しい響きが加わっていけませんね。古層の理解を深めんとすれば、やはりもっと肉体による感覚というものを信頼せねばならぬのかもしれませんが、これは我々現代人には少し難しい要求でもあるようです。はてさて・・・どうしたものか(小林智靖(青年))